Suganote

偶然の必要性

May 31, 2020

出会いというのは偶然で、運命的なものだ。どこで何が、どんな縁で繫がっているのかわからない。だから僕は、ただ漠然と待っているのではなく、自らの意思で行動し、選択した上での出会いを大事にしたいと思うのだ。これは、人との出会いと同じだ。 - 創作する遺伝子 — 僕が愛したMEMEたち— :小島秀夫

自粛期間に足りなかったものを一言にまとめるとタイトルのようになった。

2ヶ月間の自粛生活も、振り返ってみると正直そこまでストレスを感じるようなものではなかった。長い間知り合いとは誰一人会わず、仕事も趣味も、生活に関わるほとんどの時間を一人自宅で過ごしたわけだが、慣れてしまうとこれはこれで快適だなと思う面が多々あるし、人と会わずともディスプレイ越しに友人や家族とコミュニケーションを取れれば、それだけで結構満たされているというのもあった。もともと内向的な性格の自分からすれば、むしろこちらの生活の方が性に合っているのかもしれない。

ただ、そうはいってもやっぱり何か足りない、ただ時間が徒然と過ぎているだけのように感じるということもよくわかる。誰かが延々と3月から時間が止まっているような日々を過ごしている感じと言っていたが、お花見も、GWも特に何もできず、ただ四季を味わうことができなかった我々にとってはあの時からずっと時間が希釈している感覚になってしまうのも分からなくもない。思うに、そこにはあるはずだった多くの偶然がないからだと思っている。

いつもの職場で仕事をする、いつものカフェで本を読む、仕事終わりに友人と遊びに行く。日々当たり前に過ごしている中での、何気ない会話や予期していなかった出来事が、自分に思わぬ選択や行動を起こさせることが度々ある。自分自身、そう言った偶然がきっかけで今までの価値観が変わったり、将来を決める大きな決断をしたりしたことがあった。 けれどもこの一人でいる時間は、偶然があまり起こらない、悪く言えば自分の想像の範疇を超えない退屈な時間だった。

この生活を経験したことで気づけたこともある。特に仕事の面では、あらゆる事柄がデジタルで最適化されていくのを実感している人も多いんじゃないだろうか。 物理的に会社に行くことが制限される中で、リモートワークが導入されたり、承認プロセスにも電子化が進んだり、少なくともこれまで必要だと考えられていたものの価値が一気に薄れていくのを自分は見てきた。そう考えると、コロナという人類全体にとっての予期していない出来事が新しい価値観を生み出す感覚は、自分が必要としていた偶然に近いものがあるかもしれない。それに、この生活に慣れてしまうと、おそらくもう以前のような通勤や無駄な移動に耐えられない気持ちもある。

それでも、やはり自分は思わぬ出会いや気づきがほしい。そのためには、遠くに出かけたり、誰かと美味しい食事をとったり、深夜までお酒を飲んだりする時間が自分にとっては必要だ。偶然が少なくなった今の生活を延々と続けているよりも、時間や労力をかけて得ていたあの感覚を忘れないようにしたい。

久々に書いたブログが、なんとも抽象的で中身のないものになってしまったので、次回からはもう少し誰かの役に立つような話をしてみたい。